027更正登記とは(登記簿さん)
☆はじめに
更正登記の登記原因は、錯誤のみであるとされている。
更正登記は、一部抹消及び充当移転と分析される。抹消登記の登記原因には、錯誤の他に解除などがあるのに更正登記の登記原因は錯誤を使用するしかない。
なお、錯誤という性質ゆえに原因日はないとも説明される。だから、年月日売買、年月日住所移転、年月日金銭消費貸借同日設定というように原因日付が公示されるところ、更正登記は常に単に『錯誤』と記載され、この原因によって申請することを求められる。
この錯誤は、民法95条の意思表示に対応する意思を欠く錯誤/表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤-のことだろう。そうであれば、(A)100分の99・(B)100分の1であるにもかかわらず、売主・買主全員が2月3日の売買契約の日に通謀虚偽表示により結託して、(A)2分の1・(B)2分の1でした所有権移転登記は〈誰一人として錯誤に陥っていない〉。したがって、更正が錯誤でなければならないのであるならば、2月3日付所有権移転登記を更正登記することができないことになる。
そんなことはないだろう。ある事実が誤っているにもかかわらず、その誤りを修正できないことはあってはならない。間違いを間違いのままにしておいてはならない。誤った事実はあらゆる手段を使って正しい状態に引き直さなければならないのだ。
なお、錯誤にだって時点(原因日)があると思える。売主が通謀に加担していなければ、売主が錯誤に陥った時点は2月3日となる。売買契約書上は正しかったが登記申請書上で2分の1という誤記が生じたのならぱ、登記申請した2月4日が錯誤に陥った日になる。
どこかに混乱が生じているような気がした。まずは更正をするということが、どういうことなのかということを考えてみよう。
☆更正することについて
更正という言葉には、修正や訂正と比べ日常的でない響きがあります。どちらかというと、お役所の立場の者が使用する感じがします。「すみませんコウセイします」と答えられると、同音の更生と取り違われて「君の人間性を責めているわけではないのだよ」となるかもしれません。更正ではなく「すみません、修正します/わかった、訂正するよ」と回答するべきです。もっとも三つ目の「校正します」でならば似合いますが。
提出された書類を役所が視ます。そこで役人は、申請人の意見を一応は参考にしながらも眉間に皺をよせて判断します。そして、言い渡します。「なるほど事態はわかった。更正しよう」と。このような責任ある立場の者が決定権というものを振りかざす偉そうなものこれが更正です。その前提には、役所的なものがあってそこに更正権というものがある。このように展開していくと、辿りつく先に粛正(しゅくせい)があるかもしれません。「粛正」とは、放置すると周囲に悪影響を及ぼしてしまうようなもので、強権的で一方的なものです。
これに対して、手を加える主体が本人であるのが修正や訂正です。更生と校正も仲間に加えてもいい。このような区別でどうかでしょうか。なお、まったく違ったものを差し替えるようなものは「出直してこい」となる。訂正印に限界があることと同じことです。
☆具体的事例
国税通則法はこの更正と修正の二つを上のように使い分けています。まず、課税庁が行う処分を「更正」といいます(24条)。これに対して、納税者が行うことを「修正」といいます(19条)。そして、納税者が修正できない事項は課税庁に「更正を促す」(23条)といいます。
国税通則法と同じように不動産登記法を考えるのであれば、登記所側を「更正」とし、申請人側は「修正」となります。「課税標準等又は税額等」は「登記簿」に該当するような部分なのでしょう。
☆
納税者が虚偽の申告をした場合にも修正を許していいのでしょうか。正しい形に戻るのだから赦していいでしょう。本人が意図的に誤った内容を申告した、もっと言えば税務署を騙そうとした。ところが、後になってそれがとても本人の都合の悪いことになった。つまり身から出た錆であるわけです。そこで、飄々として「あれはなかったことにしてください」と言う。都合が良すぎるような気がします。このような自ら不法の状態をつくりあげた者には自業自得だとして修正を許さない―つまり法の救済を与えないというクリーンハンズの原則を適用する考え方もあるのでしょう。しかし、自らが招いた禍であっても修正は許されるのでしょう。改心したという人もいる。しかし、これはそういった問題ではなくて、そういった次元の話ではなくて、単に《誤りは正しい形に戻すべき》ということなのです。
☆
世の中は正しい形を強く追い求めます。そこにはどんな力が働くのかという質問には上手く答えることができません。しかし、そこに働く力学の名称やそこに何らかの意思が介在するのかということは別として、正しい形に変化することは宿命的なものだと思います。
更正をするということは、砂時計をひっくり返すことに似ています。砂がなくなった砂時計は、必ず誰かがやってきてひっくり返していく。どうしてそんなふうになるのかはわからないけれども、ともかくそうなってしまう。私が宿命的といったのはこういう感じのことです。
誤りを正そうとするとき「どうして誤ったのか」という原因を究明したくなります。不本意だが、脅された・欺罔された・誤解があったという理由やそれに至った経緯を、時には因果関係と共に強く追求します。そして、僕ら法律家は、誤った経緯や理由というものを強迫・詐欺・錯誤・通謀虚偽表示という法律原因という固定したものに当て嵌めたくなる。
しかし、原因の特定それ自体は、更正とは基本的に無関係と思います。もちろん、誤りの原因を解明しなければ正しさの証明ができない場合もあります。でも、僕が言っているのはそういうことではありません。僕がここで伝えたいのは、更正の要素です。正しさだけで砂時計をコトンとひっくり返せばいい。そもそも「正しいこと」ということなどはわからない。そのものごとにかかわりあっている人の事情があるし、考え方の違いもでてくる。もっと入り組んだ話をすれば、正誤は静止し固定されないものだ。正しかったものは次の瞬間に誤ったものに転換される。物事は単純ではない。
無効には、原始的な無効(不存在)と、後発的な無効(結果的な不存在)の二つがあります。詐欺にあっても取消しを主張するまでは尊重することになり、ある面からすれば正しいと扱われる。このように、正しかったものでもある瞬間に誤ったものに転換されます。僕らが認めている正しいものとは、ある瞬間のある立場にたったものに過ぎないのだ。
☆
公簿と事実の食い違いの1点で、更正をしなければならないだろう。
更正登記の錯誤とは、民法95条の動機・内容・表示などのどこかに欠缺が生じる厳格な錯誤でなないと思われます。どこかに認識が欠けたから誤りが生じたのだろうが、そのような原因究明を求めないシンプルな間違いを意味するものと思われます。
納得してくれないかもしれませんが、次のように考えられないだろうか。まず、登記簿そのものが人のようなものである。登記簿さんと名付けよう。お稲荷さんというように親しみを込めて。次に、登記簿さんは神様のような能力を持っているから、当事者・登記代理人・登記官のどこかで誤りが生じていることを知っている。その上で誤った登記をした。つまりは表示の錯誤です。
冒頭で〈誰一人として錯誤に陥っていない〉と書きました。しかし、登記簿さんを持ち出せば「登記簿さんという人が錯誤した」ということが成立します。つまり錯誤の主体は「登記簿さん」です。登記簿さんが、食い違いがあることを認識しているにもかかわらず誤った登記をした、ということでどうだろうか。このように考えれば、すべてうまく説明できてしまいます。
☆
神様に知らないことはないが神様はけっこう間違える…。いや、間違っているとはちょっと違う…。登記官には実質的審査権がない…。すべてを見抜いている登記簿さんは、間違った登記をしようとする申請人や登記官を「キッ」と睨みながら、怒りとジレンマを感じながらも抵抗できないでいます。登記簿さんは(お稲荷さんというような親しみをもって呼んでいます)、わかっていながらも手足の自由を失っている状態で受け入れざるを得ないのだ。
かわいそうな登記簿さん
そのように、誤った記載を余儀なくされた登記簿さんは、記載をしている最中の心の内において、「わたしは誤った事実を書いている」という内心にあるのだが、そのように登記簿さんは記載するしかなかった。そして「困ったな、だれか気が付いてくれないかな」とジレンマを感じながら、更正登記の申請があるのをひたすら待っている。登記制度は申請主義なのだ。登記簿さんには手が届かない。―いじらしい登記簿さん― まるで、頼りない部下や悪意のある取り巻きの中で、間違いを知りながらも口に出せない孤独なトップのようだ。小さな事務所の所長である僕のジレンマも同じだ。どうして口を出せないのかと同じ立場の僕なら説明できる。そのようなことは権限分掌で部下に任せたのだ。
そのルールは僕がつくったのだ。やろうとおもえば、僕の権限で指摘しパワーや能力で糾弾することは可能ではある。しかし、それをしてしまうとシステムが崩壊してしまう。先が見えない。見守って、気づいてくれることを祈るしかない。
そんなとき更正登記が申請される。登記簿さんは悦ぶ。登記簿さんは「申請人が虚偽表示をしたのだ」と犯人やその内実についてグチグチと言わない。また「自分自身が抵抗できず仕方がなかったのだ」と言い訳もしない。ただ「正しい登記になることが一番だいじ」と寛容な態度で受け入れるのです。「みなさん、このわたくしめが、つまり登記簿が誤っておりました」と、誰の責任にするのでなく登記簿さんは宣言するのです。このように登記簿さんは自分自身の役目として事態を説明するのです。
ステキな登記簿さん。
これが「登記原因 錯誤」の正体だ。
おわり
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